石牟礼道子

評伝が読売文学大賞を取ったと知り、取り寄せて連休の一日に読もうとしていたら、その読売新聞で訃報を知る。

山間の部屋に一日こもり、ひたひたと読みふける。

椰子の木

空港までのフェニックス並木を彼は試行錯誤しつつ独力で作った

彼の家の庭にも大きなフェニックスが植わっていた

当たり前の景色だと慣れ親しんでいたが

その1本のフェニックスの先には数十本の、何万人の目にも触れた

並木があったのだった

韓国であの頃

荷物を持ってバス、地下鉄で立っていると、座っている人に声無く荷物を引っ張られた。荷物はその人の膝の上に。満員のバスで人に押されて奥に追いやられても、また戻ってみると違う人の膝の上に荷物があった。

YSを思う

展覧会で特別に作って会場で販売していた冊子を買う。これまで未刊行だった短編も入っている。JR札幌駅が巨大化して、その最上階の展望台に気が進まないながら入場料を払って上る。天気がさらに悪くなって雨も降り出していた。晴れていたら遠く平野の果てまで見られるのだろうが市街地の先はかすんで見えない。そのせいか観光客の足もここに至らないようですいていて、ちょうどいいくつろげる椅子もあったので、売店で生ビールをいただき、長く椅子に座って冊子を読むことが出来た。およそ2時間近くもいただろうか。天候もよくなく、街を歩く気がうせていたところに、ちょうどいい時間費いができた。
そこのみにて光輝く」などにも書かれたどうしようもない親と、どうしようもない今の中でもがく主人公。目の前の現実の主人公にはなり得ず、いつもそれを見て描き受け入れる。その絶望と、そこからの救い。いや、そうしていないと目の前の現実の主人公に、自分もなってしまうことのへの恐れ。平安な現実を生きていると思い込んでいる人々のその現実も、見方によっては、彼がもしその見つめるものであれば、それは平安な現実では無く、自分の家族を見ると同じく苛烈な現実となって迫ってくるだろう予感。どこにも逃げ場の無いこの人生と社会。書くことの無力、それを思う時のまた自分を第3者に置かざるを得ないそして、それを思うまたもう一人の・・・。無限の疎外感。そんな人生でも、病を得たり、風に吹かれたり、家族に頼られたり、受賞に喜憂する、逃れることの出来ない生暖かい生の現実。S

 

北へ

札幌に日帰りの旅。
おそらく東京では開かれることのない展示なので、これは見逃せない。しかもあと4日ほどで終わってしまうとあって、後先考えず会社を休むことにし、格安の航空券を見つくろって4時台の電車に乗り、飛行機にぶらさがってやってきた。
10度近く違う気温差と南風のはずなのにやけに冷たい向かい風が念のために持ってきたジャンパーを通じて肌にしみる。ようやく中島公園に至り、北海道大神宮の祭事でたくさんの屋台が出ている散歩道を歩くが、平日の午前というのに人が多い。浴衣の男性女性も歩いているが、気温は上がる気配も無い。ただ向かい来る老若男女の表情はにこやかだ。
作家の一生を丁寧に、生原稿もたくさん展示して、見やすい規模で示してくれた。もっともっと作品を読み込んでから来ればよかったと後悔。芥川賞候補に5回も。バブル前後の浮かれた時代に、明らかに彼の作品はその輝きを認められることが困難だったのか。競合した作品が優れすぎていたのか?いや該当無しの年もあったのだから、明らかに彼の作品が時代のどぎつさに、その輝きを認められずに時間が過ぎてしまったのではないか。文学に生きることを決意し、生きて死んだ。自ら死んだ彼の作品を受け取り、自分に何が生まれているのか。やはりちゃんと読み直そう。早く帰りたい。

尾瀬の音

尾瀬沼を右に巻いて歩き始めると平らな湿原が広がり、蛙の声が右から左から前からも耳に飛び込んできた。鳥と違って蛙の声はどれも同じなのか自然のエコーとなり、姿の見えない蛙たちの声がシンフォニーを奏でるがごとく尾瀬の空気をコンサートホールのように震わせた。耳に心地よいそのエコーを聴きながら足を進めるとやがて地が乾き、木々が深くなっていき、こんどは鳥たちが個を主張するかのように独自の声を空に響かせていた。ウグイス、カッコー、名も知らない鳥の鳴き声、遠くにカラスが一羽控えめに現れて一声泣いたが、寡黙なカラスは以降黙ってしまった。仲間はいないのだろうか。木々の間を抜け、また浅瀬に出ると蛙の今度はミニコンサートが始まる。少し楽しませてもらってまた登りの山道に入ると鳥が啼き、朝の風が木々を揺らす。やがて尾瀬ヶ原尾瀬沼の水を吸い込ませる沢音も混じってきた。尾瀬ヶ原に近づくと右手の方に支沢が現れまたそよそよと水音をたてて沢に向かい下っていく。同行者と会話も少なく風と鳥と水たちの音に耳を傾けた朝の歩みも山小屋が現れ、休息と食事への思いの立ち上がりの中、いつの間にか終わっていた。木道がまっすぐに至仏の山容へ向かっていた。振り返ると燧岳が薄雲の下に我々を見守っている。