YSを思う

展覧会で特別に作って会場で販売していた冊子を買う。これまで未刊行だった短編も入っている。JR札幌駅が巨大化して、その最上階の展望台に気が進まないながら入場料を払って上る。天気がさらに悪くなって雨も降り出していた。晴れていたら遠く平野の果てまで見られるのだろうが市街地の先はかすんで見えない。そのせいか観光客の足もここに至らないようですいていて、ちょうどいいくつろげる椅子もあったので、売店で生ビールをいただき、長く椅子に座って冊子を読むことが出来た。およそ2時間近くもいただろうか。天候もよくなく、街を歩く気がうせていたところに、ちょうどいい時間費いができた。
そこのみにて光輝く」などにも書かれたどうしようもない親と、どうしようもない今の中でもがく主人公。目の前の現実の主人公にはなり得ず、いつもそれを見て描き受け入れる。その絶望と、そこからの救い。いや、そうしていないと目の前の現実の主人公に、自分もなってしまうことのへの恐れ。平安な現実を生きていると思い込んでいる人々のその現実も、見方によっては、彼がもしその見つめるものであれば、それは平安な現実では無く、自分の家族を見ると同じく苛烈な現実となって迫ってくるだろう予感。どこにも逃げ場の無いこの人生と社会。書くことの無力、それを思う時のまた自分を第3者に置かざるを得ないそして、それを思うまたもう一人の・・・。無限の疎外感。そんな人生でも、病を得たり、風に吹かれたり、家族に頼られたり、受賞に喜憂する、逃れることの出来ない生暖かい生の現実。S